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            中国人っていい加減? | 
    
   	   
	   
	     
	      
	      どうもそのようで、いい加減な人が多いようです。 	   
         私たち日本人の“むら社会”で長年培ってきた“村八分にならない”ための社会通念を持っている者から見れば、中国人の多くは非常に受け入れ難い行動をとります。しかし指導者(命令者)がきちっとした指示命令を行えばそれに従うのもまた中国人なのです。要するに、自身で自らを律することができ難い、とでも言う方が適当かと思われます。 
         
         
         
       
        私たちは、老師をこまかく丁寧に管理しています。 
          老師の自主性だけに任せてはいません。すべてのレッスンは、規律に従って受講者の皆様に向き合わさせています。 
          講師募集の際には、メールのやり取り時の礼儀チェックから始め、音声チェック、面接、教育訓練を経て、初めてレッスンに向かわせます。講師の個人的希望は取り入れません。講師の希望は、大抵自らを楽にする提案がでてくるからです。 
          
          しかしそれでも、レッスンを進める上での日程や開始時刻、学習内容、老師の選定、教材の選定、通信チェックと不具合改善の提案、等の段取りは、すべて私ども日本人スタッフがお客様とお話させて頂き、お客様のご希望に近づけるようご相談を賜ります。 
          
          
         
       
        私たちは次のようなことはしません。 
           お客様に、いきなり中国人老師に直接連絡して頂くことはしません。なぜなら、老師たちは自分たちにとって「しんどい」「面倒くさい」「得にならない」等のお客様のご要望を、老師が適当に“話を丸め”て、中国人特有の“马马虎虎”(どうでも良いように適当に処理すること)で事を済ませる可能性があるからです。 
           
           私どもでは、カウンセルの時にお客様のご要望を日本人スタッフがお聞きし、それを老師にきっちりと伝えて約束させ、それに従って老師にレッスンを進めさせます。また、ご要望をお聞きするのは、カウンセルの時だけでなく常時お受けしています。中国語の習得のためには、ご遠慮は不要です。 
           
            どうかご安心してレッスンをご受講くださいませ。すべて私どものが日本人スタッフが責任を持って老師に指示し、レッスンの段取りをさせて頂きます。 
            
        
         
         
        
         日本人の根底にある礼節は、もともとは中国から伝来したものです。 
         現在でも、一部の中国のお年寄りとお話をさせて頂きますと、実に豊かな教養ときっちりとした礼節を保たれているのです。中国人がどうのこうのではなく、近年の中国は、政策として人としての礼節とあるべき道を破壊して行ったと言っても過言ではないでしょう。 
         何しろ、天安門広場で焚書をした人たちが、独裁的に政権を維持している国です。焚書を行ったので有名なのは、秦の始皇帝と毛沢東です。焚書で自分たちに都合よく歴史を改ざんし、敵を欺く為に、批林批孔を社会運動(実際には林彪[=批林]と周恩来[=批孔]の失脚を狙った闘争)として行った政党が、総括も一顧の反省をしないまま、北京オリンピックでは、孔子を称える演技をするなど、自分に有利と思うなら何でも利用するいい加減な人たちなのです。また、尊い中国文化や仏教の破壊活動も放置したまま現在に至っているのです。 
         このことをよく理解していると、今までに起こった変なこと、これからも起こるであろうおかしなことが納得できるのです。 
           このように捻じ曲がった社会環境で育った人々は、結局、政権の中枢を握る人たちと同じようにいい加減な思想的体質を持ちます。現代中国人の根本にある思想を並べてみましょう。 
          
         ● 都想做老板 (直訳:だれもが社長になりたい) 
            強い者には弱く 弱い者には強い。 
            何も意見をしてこない人たちには、とことん食いついてすべてを奪う。 
            もともと中国の(国営)企業の“社長”は、国から生産計画を与えられ、予算に 
            従った資金が与えられます。公私混同は当然のことで、社長になることは、すな 
            わち私腹を肥やす近道なのです。社員が働いて会社が成り立っている感謝の念な 
            ど、微塵にもありません。資金をくれる上にへこへことへつらい、働く下の者へ 
            は顎で使うのが当たり前になっているのです。外国との交渉も根底にすべてこれ 
            を反映しているようです。 
          
         ● 占便宜(占到别人的) (直訳:得をする) 
            相手のミスや弱点を自らの利益とする。  
            お互いのミスを指摘し合ってお互いを高めあう考えは毛頭ないのです。自分の得 
            になれば、相手が間違っているとわかっていても、黙って自分のものにするのが 
            当然なのです。近年では、日本から中国への技術の流出(盗用)が問題になって 
            いますが、こんなこといまさら気がつくほうが悪いのです。中国語を勉強してい 
            ただけでもわかることなのです。       
            
          
         ● 别人的孩子死不完 (直訳:人の子供は死に絶えない) 
            人のことなどどうでも良く、人の不幸には目も向けず、自分たちだけが安楽に暮 
            らせれば良い。 
            他人に無関心です。自動車に引かれた子供を見ても見ぬ振りをしても、驚きはし 
            ません。道路にごみが散らかっていても我関せずでも、自宅はピカピカにする。 
            まさにゴミ大陸化しています。まさに“ふはい”の二乗(腐海と腐敗)で国家と 
            しての存続も先行き不安です。 
          
          中国人の行動思想はさほど複雑ではありません。 
          上記のことをわかって付き合いをすれば重大な問題は生じません。私の本業である企業顧問の経験の一例を申し上げます。 
          中国に進出した工場で、台湾企業の多くはうまくやっています。もちろん言葉の問題がないこともありますが、中国人同士で相手を理解していることが大きな要因の一つです。台湾企業の多くは罰則規定を作っています。工員が何か問題を起こせば必ず金銭的な罰則がまっています。事務用品の倉庫までも、入室者を特定し、違反したものには罰金を支払わせます。そうしないで自主性に任せていたのでは、製品であろうが半完成製品の部品であろうが、事務用品であろうが、倉庫の物がごっそりなくなるからです。 
          日本企業は、そこまでのことをしたがらないようで、結果的に経営を危うくしているところが比較的多くあります。そして、中国での工場経営は難しいと言っているのです。難しいのではなく、やるべきことをやっていないと言った方がいいでしょう。 
        
       
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